【追悼文】
山田秀明先生を悼む
片岡道彦
大阪公立大学
本会名誉会員の山田秀明先生の訃報から早1年が経ちました。山田先生のご業績等に関しては、酵素工学研究会会員の方々はすでによくご存知と思います。山田先生は、1977年に京都大学食糧科学研究所から同農学部農芸化学科発酵生理及び醸造学研究室 (以下、発酵生理学研究室) の教授に異動・着任され、1992年の京都大学の定年退官までお勤めになられました。その後は、関西大学や富山県立大学でも教鞭をとられています。
筆者は、1985年に発酵生理学研究室の4年生として配属となり、博士後期課程修了 (ちょうど定年退官される頃) までご指導を頂きました。今になって振り返りますと、発酵生理学研究室で教授を務められた期間の後半をご一緒させて頂いたことになり、筆者が大学教員としての道を歩み始める前の時期に大きな影響を受けました。筆者が発酵生理学研究室に入った頃には、すでにたくさんの研究業績を上げられていました。β-チロシナーゼによるL-DOPA生産、ヒダントイナーゼによるD-p-HPG生産、ニトリルヒドラターゼによるアクリルアミド生産など、学術研究に止まらず実際に工業生産されるに至った例が数多くありました。当時の筆者はまだ右も左もわからない駆け出しでしたので、微生物による有用物質生産というものは簡単に実用化できると勘違いさせてしまうほどの雰囲気があったと思います。
このように研究面で顕著な業績を上げられていた山田先生ですが、とてもフランクなお人柄で発酵生理学研究室の忘年会などでは学生とも膝をつき合わせながらお酒を飲まれることも多くありました。また、ご出身の富山を愛されており、研究室に新しく入ってきた4年生に「あなた、富山の出身ですか?」と突然お聞きになられることもありました。山田先生と縁を持たれた方の多くが、その人となりに惹かれていったものと思います。
ところで、山田先生の座右の銘に「彊不息 (きょうふそく・つとめてやまず) 」があります。古代中国の易経の一節から引用されたものです (https://www.sbj.or.jp/wp-content/uploads/file/pub/career_path_32.pdf参照)。発酵生理学研究室の同窓会組織は、ここから「彊不息会 (きょうふそくかい) 」と名付けられ、農芸化学会大会の折に毎年開催されてきました (http://www.hakko.kais.kyoto-u.ac.jp/kyouhusoku.html参照)。ここ数年はコロナ禍のため開催できていませんが、発酵生理学研究室出身者だけでなく、山田先生や発酵生理学研究室と何かしらの縁がある方が多く参加されています。研究を進めていく上で、人との関わりがいかに大切であるかを身にしみて感じる会でもあります。残念ながら山田先生にご参加いただくことは最早叶いませんが、これからも多くの方が参加して山田先生のご遺志を受け継ぐ会となっていくことを願っています。
少し話が変わりますが、筆者が現在所属しております大阪公立大学は2022年に開学したばかりですので、広報活動のために関西圏の高校を訪問させていただいております。先日、京都市西部にある嵯峨野高校を訪問した帰り際、建物入り口のところで靴を履き替えておりますと、どこかで目にした文字の並びが目に入ってきました。「自強不息 (じきょうふそく・みずからつとめてやまず) 」と墨書きされた大きな額でした。これはまさに山田先生の座右の銘であります「彊不息」と同じものです。偶然に訪問させていただいた高校で、この言葉を目にするとは思わず、ある種の感動を覚えました。山田先生から、「もう一度、彊不息の言葉を心に刻んでしっかりと精進しなさい」と語りかけられているようでした。
最後になりましたが、山田先生よりこれまで頂きました数々のご恩に感謝申し上げ、ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

2003年3月末に横浜で開催された彊不息会の一コマ (筆者撮影)。
山田先生 (右から3番目) と奥様 (山田先生の隣中央)