【追悼文】
山田秀明先生を偲んで
横関健三
酵素工学研究会名誉会員 / 日本農芸化学会フェロー
本研究会名誉会員、京都大学名誉教授 山田秀明先生は、令和3年7月12日にご逝去されました。92歳の大往生でした。山田先生のお人柄、人生観、研究観、酒の嗜み方等々を深く尊敬しておりましたので、大きな支えを失った喪失感と寂しさでいっぱいです。ここに謹んで哀悼の意を表します。
私が山田先生にご指導をいただくことになったきっかけは、1988年スイスのインターラーケンで開催された 1st Swiss-Japanese Joint Meeting on Bioprocess Development (スイス側世話人はETHのA. Fiechter教授、日本側世話人は京都大学 (工) 福井三郎名誉教授) での参加発表でした。本会議は、二国間のバイオ分野での学問・人的交流を目的にしたもので、発表者はスイス側12名、日本側11名という極めて少人数の構成であったため、山田先生とお話しする機会が多々あったのは大変幸運なことでした。終始気さくに接していただき、これまで抱いていた雲の上の存在から親しみのある存在へと変わりました。尚、スイス側の発表者の一人で、後にノーベル賞を受賞したKurt Wüthrich教授が、夕食までのピアノ演奏時の休憩時間に奥様と楽しそうにソシアルダンスを楽しまれているのを見て、“日本人なら、ピアノ演奏で好きな歌を歌うことかな” と山田先生がつぶやかれたことが印象に残っています。
先生は、“未知の新機能を探索することで目的の反応を触媒する微生物 (酵素) を見つけ出す”という探索研究を基本に据えることで応用微生物分野に新たな領域を築かれました。基礎研究のみならず新たな独創的物質生産方法の構築、実生産に至るまでの広い領域において新たな基盤を創出され、世界を牽引する先駆的な数多くのブレークスルーを成し遂げられました。我々企業の研究者は、“事業で求められるもの”をターゲットにすることが多いのですが、山田先生の基本的な姿勢は常に基礎研究の追求が根底にあったと思います。“もの”ではなく、“新しい機能”の探索がターゲットで、その機能 (微生物/酵素反応) を見出した後は、その反応機構の解明等の基礎研究を起点に物質生産への応用を追求されていたと拝察しています。数多くの独創的生産方法が実用化されていますが、“新しい機能”の探索から生みだされた代表例としては、β-チロシナーゼ (チロシンフェノールリアーゼ) によるL-DOPA生産やニトリルヒドラターゼによるアクリルアミドの生産等が挙げられると思います。
随分昔になりますが、先生から、古代中国の易経 (儒教五経の筆頭経典) の一節、「天行健 君子以自 彊不息」を通して実学の心を教えて頂いたことがありました。この大意は、「大自然は常に正しい因果関係のもとに健やかに運行している。人間も自然の一員であり、自然を離れてその存在はありえない。したがって、志あるものは、大自然と共にあってものごとに勤めなさい」とお聞きしました。まさに先生が常に言っておられた、“自然界の摂理 (自然科学の因果関係) に反していないならば、探索する価値がある”という考え方の原点であったと受けとめています。私自身、大きなブレークスルーは、既に解明されたことの周辺ではなく未解明の「未常識」領域の中に存在する可能性が高いことを常々感じており.先生のこの考え方を実学の原点として大切にしてきました。尚、先生が懇意にされていた盛栄宗興老師が揮毫した「彊不息」の書は、現在も京都大学大学院農学研究科 応用生命科学専攻 発酵生理及び醸造学分野 (京大発酵) の教授室に掲げられています。
先生の周りには常に多くの人材が集まっていました。先生と一緒に海外の国際会議等に参加した産学の多彩なメンバーから構成される「淡游会」と名付けられた集まりは、懇親と知的交流を目的として長い歴史を築いてきました。毎年一泊二日の日程で本格的な講演会が企画され、夜はメンバーの交流をはかる楽しい懇親会でした。先生は、“人間関係は常に Mutual Respect” と言っておられましたが、年齢、キャリアに関わらず、常にこの姿勢で相手と接する先生は、まさに“ 実るほど頭を垂れる稲穂かな” の名言を彷彿させるものでした。
先生のご実家は富山県福野町 (現・南砺市福野) にあり、かつては「詩百篇酒造」という酒造メーカーを営んでおられたと伺いました。建築家吉田鉄郎氏設計の歴史的建築物である山田家洋館は今でも昔のままの佇まいを残しています。秋には庭に柿の実 (円座という品種) がたわわに実りますが、この柿を収穫するために集まるのも恒例行事でした。自然に感謝のための少量の実を残して全てを採りきるには長時間かかりましたが、常に柿採りの棟梁であった坂本恵司博士 (当時第一ファイン㈱) の見事な采配で夕方には多くの段ボールが山積みとなりました。山田先生は皆の奮闘を終始ご機嫌なご様子で見守られていました。この折、興味ありますかと、物置から探し出した「高峰譲吉博士の博士論文」の原著コピーを渡して下さいました。私が京都大学大学院農学研究科産業微生物学講座に就任したばかりの時期で「産業微生物学」という授業を持っていましたので、実学の原点を紹介する貴重な資料として大いに活用させていただきました。心のこもった有り難いご配慮だったと思っています。洋館も案内していただきましたが、先生が読破した西村京太郎のトラベルミステリーの既刊文庫本が全巻揃っていました。小説の背景となる風景の記述は、旅行ガイドブックよりも旅行に役に立つというのが揃えた理由とお聞きしました。研究において、研究結果を踏まえて当初の狙いから別の酵素工学ニュース 第88号 2022年10月狙いに転換することで新発見に至ることがありますが、日常生活においても物事を別の観点から見直すという発想はとても新鮮に感じたことを思い出します。
先生が富山県立大学生物工学研究センターの所長をされていた時期には、高岡の行きつけの居酒屋で美味しい富山の珍味を酒のつまみに、色々とご指導いただく機会が多くありました。前述の「天行健 君子以自 彊不息」についてもこの折に教えて頂きました。ほろ酔い後は、お気に入りのスナックでのカラオケがお決まりのコースで、先生は、十八番の裕次郎の「我が人生に悔いなし」 (作曲 加藤登紀子 作詞 なかにし礼) を、自身を振り返るようにしみじみと歌っておられました。先生が好まれたもう一つに、「酒の中から」 (作曲 古賀政男 作詞 玉川映二 (さとう はちろう) という歌があります。村尾澤夫先生が東大の助手の時代に海外からの留学生の歓迎や忘年会等の酒席の折に良く歌われていた歌とのことで、山田先生は村尾先生から直接教わったと伺いました。十数年前に私がこの歌を知っていることを山田先生が気づかれ、それ以来、京大発酵の忘年会で山田先生とデュエットで歌うという栄誉に浴しました (写真は、2013年の京大発酵忘年会で「酒の中から」を合唱する山田先生と筆者)。 発酵の忘年会には御令嬢の浩子さんが山田先生の介助役としてご一緒され、この歌を楽しそうに歌っている先生の姿を大変喜んでおられました。

お別れ式の出棺の前に、今から棺のふたを空けるので是非、「酒の中から」を歌ってほしいと浩子さんからご配慮をいただきました。楽しいことが好きな先生がきっと喜ぶと即座に判断されたものと感じ取り、淡游会メンバーを誘って棺の前で合唱させていただきました。寂しさで思うように声が出ませんでしたが、山田先生も一緒に歌われていたように感じていました。宇多川隆博士による山田先生へのエールの後、お別れの花だけでなくビールや日本酒も先生のお棺に手向けさせて頂きました。山田先生を偲ぶのにふさわしいご葬儀だったと感じております。
ご葬儀の後に、加藤暢夫先生から、『山田先生が、ご定年間近な時期に、“京都に来て随分になるけど、まだ旅行で滞在している気分ですよ” と仰っていたことを思い出します。漸くふるさとにお戻りになることができ、旅装を解かれたということでしょうか”』というメールをいただきました。十八番だった「我が人生に悔いなし」の歌詞にある “たった一つの星をたよりに はるばる遠くへ来たもんだ” という一節とまさに重なり、思いひとしおでした。山田先生は、故郷の福野に戻られ、山田家代々の墓に眠られています。
ここに改めて山田先生のご遺徳とご遺業に対しまして心より尊敬と感謝の意を捧げますとともに、先生にいただいたご指導ご鞭撻に深く感謝し、謹んで先生のご冥福をお祈り申し上げます。