【巻頭言】
酵素工学の未来予想図
伊藤
富山県立大学工学部生物工学科
2020年は本来であれば、日本においてオリンピック・パラリンピックが開催されアスリートの熱いドラマが演じられるはずであった。新型コロナウイルスのパンデミックというアクシデントにより、世界の多くの人々が概ねステイホームを余儀なくされ、窮屈な日々を送っている。しかし、歴史を振り返るとこうしたパンデミックの後には、常にグローバル化や社会変革が加速している。欧州でのペスト流行後の宗教改革とルネサンス、コロンブスの新大陸発見と病原菌による先住民人口の激減、それに伴う欧州からの移住やトウモロコシやジャガイモの利用拡大がある。スペイン風邪の流行は第一次世界大戦の終戦を早め、結果として国際連盟が生まれた。今回のコロナ禍は何をもたらすであろうか。日本の行政のIT化の遅れがつまびらかになり、私自身も大学での教育研究生活で始めて遠隔授業やWeb会議を経験することになった。おそらく、ICT技術 (最近ではデジタルトランスフォーメーション (DX) とも呼ばれ社会改革も意味するようになっている) が、AI技術の発展と相まって加速するだろう。
酵素工学の分野はどうなるだろうか。歴史を振り返ると、私が学生だった頃、故福井三郎先生 (京都大学工学部) が、Enzyme Engineering国際会議を伊勢志摩で開催するための国内組織として酵素工学研究会を立ち上げる準備をされていたのをふと思いだした。1970年代後半は、酵素の固定化やバイオリアクター化技術が先端技術であった。しかし、当時酵素自身は天然から得られるものしか利用できなかった。あれから、40年以上が経ち、酵素は膨大な遺伝子情報の蓄積によりメタゲノムを含む各種遺伝子ソースからスクリーングし発現することが可能となった。またタンパク質工学技術の発達により程度の差こそあれ自由に酵素の人工的改変・改良ができるようになった。これらを時間軸で俯瞰すると、 “from nature-made enzymes to high-performing enzymes” と考えられるのではないだろうか。酵素の高機能化と更に言えば「テイラーメイド化」が益々進むものと考えられる。後者はある特定の反応場や生産物に特化したエンジニアリング酵素ともいえるものである。私の専門は、バイオプロセスによるものづくりである。例えば、ケトン類の不斉還元反応を通して経験したことであるが、キラルアルコールの生産性向上を目的にADHを発現するE. coli菌体に高2-propanol及び基質濃度下での効率的変換という選択圧をかけ酵素進化分子工学を実施した。結果として、酵素の単なる比活性向上よりも、N末端配列の一部置換による酵素発現量の増加や2-propanol (極性有機溶媒) 存在下での酵素活性向上により、その生産性を10倍程度増やすことができた。最終的に1M以上の各種キラルアルコールの生産が可能となった。このように、酵素のテイラーメイド化は比較的容易である。
今年の前期期間に学部2年生の遠隔でのトピックゼミを担当することになり、「英エコノミスト誌が予測する2050年の技術」 (文藝春秋社) という本を参考図書として使用した。その中には、風力と太陽光で全エネルギーの3割生産、AIの可能性と実態、食卓に並ぶ人造肉、光合成能が向上した植物による食糧増産、癌や糖尿病ワクチンの開発などの新技術が予測されている。バイオ分野に関してはこれら以外に、次のような興味深い予測があった。それは、「バイオデザイン・オートメーション」とこの著書では呼ばれており、バイオエンジアリングの進化により、新たな能力を持った酵素が設計され、それを各種化学反応に適用することにより新規な材料・化学品が生み出され、且つその生産は分散型の植物原料によるバイオプラットフォームになるというものである。概ね現在の合成生物学の応用分野 (これはバイオプロセスの将来の姿だろう) と概念が一致している。私は、酵素工学の力で生み出される高機能・テイラーメイド酵素群が、こうした一連の微生物生産プロセスのパーツとして大いに利用されるのではないかと予想している。微生物生産プロセスための宿主やベクター系の選択、高機能酵素の開発、こうした酵素遺伝子群の発現の最適化と不要遺伝子の破壊など、スマホやPCを設計するかの如くバイオプロセスをデザインできるようになる。生産物としては既知の化学品のみならず新規な化合物も含まれる。勿論、バイオプロセスの性能を決めるのは当該プロセスに組み込まれる “tailormade enzymes” である。私の未来予想図が (一部は英エコノミスト誌編集部の予測だが) 概ね的中するのを、若い世代の研究者は30年後に体験することになるのではないだろうか。