【巻頭言】
コモディティ化するバイオ技術の功罪
早出広司
東京農工大院・工・生命機能科学
私も酵素工学の研究分野に学生時代から、かれこれ30年以上携わることができた。そんな中、昨年、スウェーデンを訪問する機会があり、恩師であり、また、本酵素工学研究会とも設立当初より深いつながりを持っていただいているルンド大学名誉教授Klaus Mosbach先生にお会いする機会を得た。はちきれそうなお腹とは裏腹に、変わらぬ機微にとんだユーモアあふれるスマートな研究ディスカッションにおいて、常に新しいアイデアを出し続ける研究者のあるべき姿を今一度認識した。
話は変わるが、多様な産業分野における技術や製品がコモディティ化する中、我が国の産業構造が変わってきた。コモディティ化という言葉は、マーケティング用語として、「所定の製品カテゴリーにおいて、品質、機能、形状などの競争における差別化特性が無くなり、顧客からすると製品に違いを見出すことのできない、どの製品を買っても同じという状態」になったこと (マーケティングWikiより引用、一部改編) とされている。そんな中、私が研究において、関わりの大きい臨床検査や診断・計測の分野における技術・製品のコモディティ化に相当する動きが近年顕著である。とりわけ、糖尿病の患者の方の血糖値を自己管理するために使われている血糖自己計測 (Self Monitoring of Blood Glucose; SMBG) においてコモディティ化の流れが止まらない。2013年の米国におけるSMBG機器に関する保険償還内容の変更に伴い、米国店頭での販売価格の下落が起こったことが直接の引き金であろう。まさに価格競争だけが顕著となったバイオ技術製品の姿である。一方で、この変更に先行しSMBGに関するISO15197が改訂され、性能の一層の厳格化が求められるようになった。FDAの基準もこれを上回る厳格化が提案されている。SMBG機器の価格が安価になる一方で、さらなる高性能化が求められるという、禅問答にも近い状況が続いている。言うまでもなく、SMBG技術を支えている根底はバイオセンサ技術であり、その中でも酵素工学は技術的な中核をなす。このような環境の中で、酵素等の分子認識素子の開発を含めた、高精度で血糖値を計測する技術開発が求められている。さらに、このようなコモディティ化は血糖計測用酵素に限らず、我が国が世界に誇る臨床検査試薬用酵素全般に共通する課題として認識されている。価格競争の波が押し寄せてきている。
一方で、生命科学の進展はバイオ関連支援技術のコモディティ化によって加速されていることも事実である。技術が普遍化し、情報が共有されたことにより、研究・開発の結果達成された成果の知的財産の認識も変化している。バイオ技術のコモディティ化に加え、生命科学の理解の進展とともにInternet of Things (IoT) が取りざたされている現在、技術的にも論理的にも想定しうる技術範囲が予想できる。したがって、権利化される範囲も限定されることとなり、バイオ関連知財戦略における特許のあり方も変貌してきている。
技術革新の流れは加速する一方であり、今後も、バイオ技術・周辺技術のコモディティ化は減速することはないだろう。このコモディティ化を技術開発の追い風とするなら、積極的に情報を公開する方針に基づき、障壁なく有能なプレイヤーを増やすことで、研究開発における競合・競業に要するコストを徹底的に削減し、そのゲームそのものの質を向上させることができる。すなわち、共通の目標に向かって、真に求められる技術イノベーションをめざす研究戦略を推進することが、先に述べたコモディティ化における価格競争に勝ち抜くためには重要なのではないだろうか。さらに、それは要素技術開発にとどまらず、最終製品やマーケティングを見越した技術開発であることは言うまでもない。この酵素工学研究会は、まさにそのような意識を持たれている産学官の研究者が集う場であると信じている。
冒頭の話に戻るがMosbach先生から、研究の楽しさとしてアイデアを出すことを、そして、そのアイデアに集う仲間の絆の強さを教えていただいた。研究の着眼点、これこそがコモディティ化に決して色褪せない研究者の最後の砦だと思う。