【コラム】

1981年・1989年国際酵素工学会議と2016年伊勢志摩サミット

土佐 哲也

酵素工学研究会 元副会長・名誉会員
元田辺製薬株式会社 副会長

 

「国際酵素工学会議」と「伊勢志摩サミット」とは謎解きのような課題であるが、両国際会議には非常に大きな共通点があるので、「酵素工学ニュース」の貴重な紙面を借り、35年前のことを懐かしく想い出しながら解説し、その間の国際政治を中心とした国際関係を紹介したい。

1979年に設立された当「酵素工学研究会」の設立趣意書には、「国際酵素工学会議 (Enzyme Engineering Conference) 」を1981年に日本で開催することを一つの目的にすることであると記載されている。5回までの国際酵素工学会議は下表に示すように1〜3回は米国、4回は西ドイツ、5回は米国で行われた。第5回の会議で第6回を日本で行うことに決定した。以後、開催地は米→欧州→米→アジア→米→欧州→米→アジア→米ということで、2回に1回は米になり、他の1回は欧州またはアジアというルールで行われている。アジアの場合日本以外では1997年 (14回) に中国・北京で、2005年 (18回) に韓国・慶州で行われた。次のアジアの順番の時には、日本での3回目ということになるが、2013年 (22回) に富山で浅野泰久先生が会長として主催された。

表 主として日本が関係した国際酵素工学会議の概要 (1~22回)

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この間、第7回の時に「国際酵素工学賞」が設定され、第1回の受賞者に千畑一郎博士が選出された。表に記載したように日本人では既に5名の先生方が受賞されており、受賞者の約1/3が日本の研究者であり、この分野で日本が如何にリードして来たかが窺える。

「国際酵素工学会議」は米国New Yorkの「Engineering Foundation (現Engineering Conference International) 」の主催で行われ、日本で開催の場合は「酵素工学研究会」が協力するという形で行われて来たことを追加しておく。

次に主要国首脳会議 (サミット) に課題を変え、2016年5月26日と27日に「三重県志摩の志摩観光ホテル」で安倍首相の議長の元、世界8主要国の首脳を招いて催されることになっている。これまで日本での初回は1979年 (第5回サミット)、2回目が1986年 (12回サミット)、3回目が1993年 (19回サミット) といずれも東京で開催されてきた。4回目は2000年 (26回サミット) が沖縄で、また、5回目 (34回) は2008年に北海道の洞爺湖畔であったが、今回、日本での6回目が伊勢志摩に決まった。その理由は大きく次の2点である。

近年のサミットは警備の観点から大都市を避け、地方で開催することが傾向となっている。今回のメイン会場の「志摩観光ホテル」のある「賢島」は、本州から渡るには2本の橋を利用するしか方法がない。人の出入りを規制し易い利点があり、警視庁などによる事前調査で高く評価された。昨年来、世界の各地で起こっているイスラム国(IS)がらみの「テロ」に対する対応が考慮されたと言われている。

他の理由は伊勢湾に面した風光明媚な環境が高く評価されたことである。

1981年と1989年の国際酵素工学会議を当時の酵素工学研究会の大先輩達が35年前に「賢島」の「伊勢志摩観光ホテル」を、選ばれたのは今年のサミットを安倍首相が決められたのと、奇しくも全く同じ2つの理由であった。大先輩達の達観に感銘を深くするものである。

2回の国際酵素工学会議での日本での事務局を担当したものとして、当時の世界の政治状態がこのような「国際学術会議」にどのように影響したかについて、今年のサミット開催を睨みながら若干の想い出を紹介したい。

当時の国際情勢を振り返ってみると、米・ソの対立による、自由主義と共産主義の確執があった。ベルリンの壁が取り壊され、西ドイツが東ドイツを吸収したのは1989年11月であり、従って、第6回と第10回の会議が日本で行われた時にロシアではなくソ連 (USSR) であり、ドイツはWest Germany とEast Germanyに分かれていた。

その他、中国と台湾については国の呼称の問題でトラブルが起き米国の「Engineering Foundation」に相談をしたことが想い出される。台湾からの参加者の所属国をTaiwanだけでは駄目で、「Taiwan, China」とするか「Taiwan, R.O.C」または「Taiwan, Republic of China」とするようにと中国の事務局から強い申し出があった。最終的には中国の要請を可として、台湾からの参加者には、その由を申し入れ了解を得た。ただこの両国問題は未解決で、35年を経過した現在でも「一つの中国か台湾の独立か」の問題は続いている。科学技術の進歩に比べ、国際政治の進歩は如何に遅いかが窺える。

また、中国とソ連の所謂、共産圏からの参加者についてはその氏名と所属を最寄りの警察に届け、「毎日変りがないかどうかの連絡」をしたのも国際政治の余波であった。現在は勿論このようなことは行われていないと思う。

もう一つの問題は日本の国際空港から賢島までの交通手段のことであった。成田空港が出来たのは1978年であったので東京からの名古屋までは余り問題がなかったが、関西の場合は関西国際空港が出来たのは1994年9月であったので、大阪伊丹空港が国際空港のため、外国の人は伊丹空港から大阪南の難波に出て、近鉄で賢島まで行くのである。難波駅での案内がどうか? 英語、ローマ字の案内がどの程度あるかを調査に行ったのも懐かしく想い出した。当時は英語、ローマ字は殆どないに等しかったが、外国からの参加者も無事に来られたので、このような国際学会に参加する人は旅慣れておられるのか?と思った。

今年5月の「伊勢志摩サミット」の開催を機に、35年前の「国際酵素工学会議」を懐かしく想い出しながら、雑感を記述した。

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