酵素工学ニュース 第74号 p.1(2015)


【巻頭言】

「つれづれ草」第八百二十段 「定説」なるもの

川本卓男

京大・RIセ

 

ある時、歴史の教科書を見て驚いたことがあるので、無知をさらけ出すようで恥しいが、まずは、少し歴史の話をさせていただく。その歴史の教科書は、私が学習していた頃とは、縄文時代に関する記述や資料が、かなり異なっていたのだ。縄文時代の遺跡として青森県の三内丸山遺跡というものが紹介されており、これが、今までの縄文時代の「定説」を大きく変えるものだったのである。縄文時代は、狩猟や採取によって生活をしており、農耕が始まり村社会を作るのは弥生時代からというのが「定説」だった。しかし、この三内丸山遺跡は縄文時代の遺跡であるにもかかわらず、大規模な建造物のある大きな集落を形成しており、高度な村社会があったと考えられ、マメなどの栽培植物も出土したのである。それだけではなく、DNA分析などから栗を栽培していたことも明らかになり、縄文時代には「定説」よりかなり進んだ文化と技術が既にあったことが示されたのである。つまり、新たな「事実」の発見によって「定説」が変わり、新たな「定説」が生まれていたのである。三内丸山遺跡に関しては、この地に遺跡があることは、江戸時代くらいから知られていたようであるが、その後の地道な努力によって調査研究が行われ、このような「定説」を変えるような新たな「事実」の発見に至ったようである。このような「定説」を塗り替えるような新しい「事実」の発見に自ら巡り合いたいものだが、そのためには、やはりよく言われているように、地道な努力と運が必要なのであろう。

もう少し新しい時代に関しては、明智光秀の末裔にあたる明智憲三郎氏の「本能寺の変431年目の真実」が、「定説」に新たな「見方」から挑戦し、新たな「真実」を提案しており、面白かった。「明智光秀は、信長にはつらく当たられたこともあって信長を恨むようになっており、また、天下を取りたいという野望も抱いて、本能寺の変を起こした」というのは有名な話で本能寺の変に関する「定説」となっている。さらに「定説」では、以下のようになっている。本能寺の変を、出先の大阪で聞いた徳川家康は、命からがら三河に帰り、光秀討伐の軍を起こしたが出遅れた。一方、備中高松にて毛利攻め中の羽柴秀吉は、変の知らせを受けて、毛利氏と緊急に和睦し台風の中を驚異的なスピードで引き返して光秀を討った。この「定説」に対し、明智憲三郎氏は光秀側に立ち、今までと違った「見方」からも検証することで、「信長は自分で企てた策謀により、自らの死を招いた」「光秀が変を起こしたのは、この時代の主要人物が裏で深く関わっている」という、これまでの「定説」を覆す「事実」の提案に成功している (詳細に書くとネタバレになるので、興味ある方は、是非、本を読んでみてください) 。これは、歴史研究に関わる話で、酵素工学など自然科学とは少し異なるのかもしれないが、「定説」を少し違った「見方」から見直して、地道に検証を進めることの大切さを教えてくれる。

ところで、私の身のまわりにある「定説」の中で、大学の放射性同位元素総合センターに身を置く私にとって、打破しなければならないものの一つは、「放射性同位元素 (RI) は使わなくても実験等ができるように代替法の開発が進んでいることもあって利用が減っている」というものだ。その「定説」によって多くの大学等でRIセンターが縮小・統合され、予算も削減されている。しかし、例えば、私どものセンターをはじめ、いくつかのRIセンターでは、新たにRIの利点を生かせて他の方法では行うことの難しい個体レベルでの分子イメージングが可能な高額な最先端装置である小動物用分子イメージング装置を競争的資金などで導入し、研究の発展に貢献しようとしている。そして、実際、この装置の利用は、特に医学・薬学・医療などの酵素工学の研究者にとってもなじみの深い分野の研究者を中心に、増えているのである。しかしながら、それに対応するために必要な研究者の補充が、例の「定説」によって人員が削減などされていることもあって進んでないのも現状である。分子イメージングは、今後、さらに様々な分野で利用可能と考えられ、私どものセンターなど先導的に導入された数か所の大学で協力して、利用拡大に向けて全国的な研修会も開催しているので、是非参加いただいて、分子イメージング装置に関する理解を深めていただくとともに、RIセンターに対する理解と支援をいただけると、ありがたい。

以上、「定説」なるものについて、つれづれなるままに、日くらし、PCにむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

to top